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経済学的な正しさについて

エッセイ 経済学

 経済学者がいってはいけない禁句として”経済学的に正しい”という文句があります。

 なぜいってはいけないのでしょうか。

 まず、経済学的に正しいことが正しいとは限らないことです。これは数学に置き換えれば簡単で、1+1=2は数学的であろうとなかろうと正しいことは正しいのです。つまり、経済学的に正しいという文句の裏には、別の視点からは正しくないと自白するようなものだからです。なぜなら全面的に正しいと確信が持てるのであれば”経済学的に”なんて枕詞必要ないからです。例えば生産性の皆無なものを切り捨てることは経済的には正しいかもしれませんが、法律的、そして倫理的には正しくありませんし、大多数の人は枕詞つけることなしに正しくないと答えるでしょう。経済学的に正しいからこの政策を進めるべきだなんていう論客をたまに見かけますが、彼らはそれが経済学的に正しい=正しいと認識している阿呆か欺瞞に気づいてなお自分の意見を通そうとする卑怯者にほかなりません。

 つぎに、経済学は政策の正しさまで担保しないからです。つまり事実究明しかしないのです。自由貿易を例にとってみましょう。自由貿易を行うことで、輸入国の生産者は損をし、消費者は得をするが、消費者の得の増分は生産者の損の増分を上回るという事実は学部生レベルのミクロ経済学のどの教科書にも記載されてある有名な帰結です。それでは自由貿易をするべきなのでしょうか。YesともNoとも言えます。消費者は輸入することで格安の財を得ることができるという主張も正しいですし、輸入の増大によって生産者は過酷な競争を強いられるという主張も正しいからです。また、経済学があてにならないという言説もこのぶれにあるように感じます。少しいい加減にはなりますが、当時の流行によってこの”正しさ”というものが大きくぶれるからです。経済学は冷酷なもので正確な論の種を与えてくれますが、絶対的な正しさは保証してくれません。それを流用して自分の論を展開する論客には気をつけてください。

 

落ち穂拾い

  • ブログ等で”経済学的に正しい”という言葉の危険性を指摘されている方を何人か知っています。しかもみなさんとても優秀な方です。
  • 教科書的には自由貿易のあり方についてはこう結論付けられることが多いです。消費者の得分を生産者の損分に所得移転することができればみんなが損をしない状況を生み出せると(みんなが損をせず、誰かが得をする状況をパレート効率的などということがあり、経済学の指針としてよく用いられます)。